ふんわりフワフワな感じで

これといったことはない地味な感じのブログです。

まだまだ甘い私

今、私は塾講やりながら自分でもしている勉強があって、それが区切りついたら親と距離を置こうと考えているのだけど、何と言うか…。
母は私の嫌だと思うことをすごく率先してやる人間だなと改めて思う。それを父親も止めたりはしないんだけど。正直、人生でこんなに孤独だと思ったことないぐらい、今すごく自分なりに辛い時期だと思う。
私が一人で将来のことで考えているときに私のことなんかお構いなしに好き勝手に振る舞う母。それなのに口出しだけはかなりしてきて、私がうまくいかないとヒステリックに罵ってくる。昔から変わらないけど、雑に扱われてた自分がいくらなんでもヒドイと思ってしまう。

でも…やることはまだある。雑音は気にせず頑張って勉強、勉強。

9月はどうなる

特に書くこともなく、やっぱりいつもと同じで同じ人間たちと問題があったりで、だからといっていつもと同じこと書いてもクドくなると思うから、とりあえず今のとこは具体的なことは書かないでおこうと。すごいムカつく、大きい声で怒鳴りたい、叫びたいほどのストレス、分かってもらえないetcの感情があっても、現状や心情をうまく認めながら過ごさないと私の気がヘンになってしまいそうだ。でも大丈夫、私。

9月…になったからって私自身に特に変化はなさそうだけど、何か少しでもイイコトを期待しながらがんばると思う。

変えました

タイトル…変えました。前から変えようかなとは思っていたんですけど、なんかそのまま続けてました。タイトルは色々考えたんですけど何かピンとくるものがなく、タイトルのようにふんわりな気持ちで日々過ごせていけたらいいんじゃないのかなぁ〜という感じでつけました。タイトルとは程遠いような内容もありますがあしからず。
ふんわりフワフワって何だか柔軟剤のような感じもしないでもないですが、結局コレってことで。

またフワフワなゆる〜い感じで更新していきます。

ブログ書いていて良かった

久しぶりの更新だったついでに、昔自分が書いていた記事をいくつか読み返してみた。
自分で自分を哀れむことはしたくないけど、涙が出そうになった。そして、書いていなかったら忘れていたであろう出来事も沢山あった。
ブログにする意味があるかないかはおいといて、その日の出来事を書いておいて良かったと思った。
両親から言われた言葉、言動、それに対する私の心境。読み返すと動悸がして読めないぐらい辛い記事もあった。

改めて、家は、面倒は、みないと決めた。



人生予報です。ずっと毒親雨です。でも、いつか晴れます。

連日…暑いです…。お久しぶりです。元気です(・_・;


さて、私が毒親育ちというのはこのブログで読んでいる方が多分ウンザリしてしまうほど書いてきました。自覚してます。親と仲良い人たちからしたらただの親不孝者でしかないようにとられてしまうかもしれませんね(-_-)

毒親も年をとってくるとそれなりに丸くはなるのでしょうか?ウチの親は全くと言っていいほどなりません。特に母親なんかは一生無理だと最近では諦めています。何回か私もSOSはしてきましたが、両親とも全部面白がるようにスルーでした。母親は年を追うごとに特に老後というか物質的なことに貪欲になってきたと思う。確かに、誰にとっても老後やお金は大事ですし、分かります。でも母の場合は私以外の家族さえ良ければいいというかなり独善的に思う。私は母の顔が大嫌いだ。昔から化粧の濃い、ケバい母親のことは受け付けなかったが、母の顔には性格の悪さが顔に出ていることに気付き、顔を直視するのが嫌な時も最近ではよくあった。母の顔を思い出すだけでも腹が立つことが増えた。


両親は最近、家をどうするかをボチボチ考え始めているらしい。私に後を任せるのだとか何だとか。任せるだけの素晴らしい財や技術は何にも無いのだけれど。まぁ私に任せるとは言っても現時点の話だし、この両親のこと。私とはずっと仲が悪いのでちょっとしたことでも口論になる。ずっと波乱だらけだった両親と私。今更…である。後を任せるとか言っても両親の老後はまだまだ先。家も老朽化してきてなんだかんだで出た話なのだろう。でも、私はいつまでも両親とは住まないつもりだ。出たらそれっきりにして、自分を大事にしてくれる人と末永く幸せに暮らしたい。
私に任せるだなんだとか未定ではあるけどそんな話が出た時は正直、心の中で「ちょっと勝った」と思う自分がいた。両親は私に対していつも強気だったし、私の内面や外見に至るまで全てをバカにしてきた。被害妄想でも何でもなく、リアルに。
「私=何もできないグズ」だと両親は思っていたから、真面目に頑張っている今の私に何か期待するのかもしれないが、自分でそう思うことも毒親に否定され続けてきた私は「はぁ?誰が真面目?お前に期待してるだ?頑張ってるだ?」と、親から否定される可能性がかなり高いと思い、書いてはみても言葉にはしない。自画自賛は毒親育ちの私には虚しくなるだけだ。

私の両親は丈夫で元気だが、毒親だっていつまでも元気なわけじゃ無い。いつか年をとる。後を任せるだなんだとでた時は、家とか考えてもいいかなと思うほど少し嬉しいとさえ思ったが、それも続かなかった。続きそうにも無い。どう考えても「利用するための道具」にしか思えないからだ。そしてどう考えても私にとって両親は良い親ではなかった。本当、「今更」である。いつか自分が結婚する時(未定)は両親を呼ぶのは気が引けるとさえ思っている。多分、2人でどこかで挙げるだろう。それが、理想。

何というのか、両親に対する思いというか、わだかまりは、解けないと思っている。それは私が意地張ってるとかでも無く、必然かなと。
忘れたくないので、こうして書いてはたまに読み返してます。自分で言うのもヘンですが、私は人のいいところもあるので、許しては傷付くのです。被害者ぶってるわけでもなく。それはもうこりごりです。

ジメジメした長〜い梅雨ならぬ「毒親雨」。でも長い梅雨だって、長く暗い夜だって、必ずあける。また梅雨や夜が来ても必ずあける。
そうやって自分に言い聞かせていないと、やってけない。